もすもすスープの暮らし

記述には時差があります。ゆるくイタリア語を学習しています。

とり散らかったものをかき集めて文にする

これまでは、「遅々として進まないイタリア語学習」に特化したブログにしていたが、この機に(どの機に…?)、内容を自分の暮らし全般に広げようと思う。いわゆる雑記ブログだ。これまで以上にまとまりのないものになるのはまず間違いない。

しかし、じゅうぶんといえるほどじゅうぶんおとなになり、悩んでもどうしようもない自分自身のことで思い悩むこともめっきり減り(どうしようもないことで悩めるのは若者の特権だ)、悩むのは、超・現実的に悩まざるを得ない問題に対峙するときのみになり(例:高齢の父の機嫌をそこねないように、ガラクタを捨てさせるのはどうしたらよいのか…?)、すると、しっかり意識しないと、自分に割り当てられた日々は(そして時間は)、まるでマンガに登場する羽の生えたお札のごとくやすやすと飛び去ってしまう。

年を経ることは(年を経てみれば)、そんなに厭なことではない。生きるのが楽になるからだ。できれば、自分が中高生のころ漠然と想像したように、おとなになった自分がもっと賢く、自信に溢れていたらよかったけれど…(残念ながら、賢くも、自信に溢れたおとなにもなれなかった)。

ともかく世の人の多くと同じく、おとなになり、生きるのがずいぶん楽になった。経験が増え、物事の処理の仕方を習得したからだ。この箱は右へ、この箱は左へ、この箱は、えーと、とりあえずちょっと置いておこう(そしてしばらく忘れてしまおう。ことによると永遠に)、という風に。「よい意味で」あきらめることも覚える。世界は自分にとって驚きに満ち溢れたものでなくなると同時に、馴染みの場所になる。ココロは意味なく擦り減ることはなくなり、怠惰に丸くなる。

でも、ときどき思うのだ。やべー、と。そして、自分を振り返ったときの真っ白具合に、自分で驚愕する。

ストレスをもたらさない日々は、ココロにも脳ミソにも何の傷もつけず、あっという間に飛び去って、永遠に戻ってこない。(まあ、それでもいいんだけれど)と思いつつ、とり散らかったものを少しかき集め、泥団子のようにまとめて、文字に直してみようと思う。