もすもすスープの暮らし

記述には時差があります。ゆるくイタリア語を学習しています。

近所のコンビニのヤマトの最終集荷時刻が16時になって、たそがれたこと

先日、納品物を宅配便で送ろうと近所のコンビニに行ったら、アルバイトのお兄さんに、「本日分の発送は終わったので、明日分の発送となります」と、にこやかに言われた。

びっくりして思わず時刻を確かめた。まだ17時。

そのコンビニでの最終受付時刻を聞いたら16時とのこと。重ねてびっくり。郊外ではあるが、都内である。18時までに宅配会社に直接電話をすれば集荷にきてくれるので、そのまま家に持ち帰ることにした。思えば、宅配便で納品をするのは久々だった。

てくてくと家へ向かって歩きながら、「少しずつ、いろいろ変わっていくんだな…」と、ぼんやり思った。

わたしがフリーランスになった15年ほど前には、原稿や校正物のやりとりに宅配便がよく使われた(もちろんファクスも!)。翌日午前必着に間に合わせるために、ギリギリまで仕事をし、近所のコンビニの20時の集荷受付に間に合うように、ひーひー言いながら自転車を走らせたことが幾度もある。宅配会社に電話するより、コンビニに行ったほうが当日の遅い便にのせることができたのだ。

近所のコンビニの集荷締め切りが早まったのは、震災の年。当日発送分の最終は18時になった。時期が時期だけに当然のことと思った。

その後は、夕方買い物にぶらぶら出るついでにコンビニ寄るか、余裕がなければ電話して集荷に来てもらうかしていたが、次第に「紙」を宅急便でやりとりすることは減り、かわりにデータでのやりとりが増えていった。テクノロジーの進歩に快哉をあげ、「でも、宅配会社もきっと仕事が減って大変だね」と思う間もなく、今度は通販利用急増で宅配会社の悲鳴のニュースを頻繁に聞くようになった。

震災後に18時になった近所のコンビニの最終受付は、その後20時に戻ることはなく、しばらく前には17時になっていた。そして、先日判明の16時。

これまで長く生きてきた中で、物事はつねに引き伸ばされ、便利になる方向へ進んでいた。常に。どちらかといえば、「いいよ、そこまでしなくて」と思うくらいに。それがここへきて、一部は既に後ずさりを始めている。

どちらかといえば、「いいよ、そこまでしなくて」と思う派だった自分だが、いざこれが、全体的に縮小していく社会の、大きな流れの一部だと思うと、なんとなくたよりない、漠然とした物哀しさ、一抹の不安のようなものを感じる。なにしろ、今まで経験したことない方向の流れなのだ。ものごとは、常に明るい面を見るほうがいいとは思いつつ、黄昏の光の中を歩いているような気持ちになる。

そして、田舎の家である。

先日たまたま総務省発表(平成28年度4月)の「過疎関係市町村都道府県別分布図」を見る機会があって目を疑った。実家のある所在地が、「過疎地とみなされる市町村」のカテゴリーに入っているのである…! 確かに地方都市ではあるが、まさか「過疎地」にカテゴライズされるとは思ってもいなかった。これには、もうどう考えても明るい気持ちになりようがないのである。

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http://www.soumu.go.jp/main_content/000492294.pdf